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中国旅行記@2001 ~上海・北京・ハルビン(哈爾浜)旅行写真~
上海から北京~ハルビン(哈爾浜)へ寝台列車で向かう
哈爾浜(ハルビン)の黒竜江大学へ留学する事になり、上海から北京経由で無謀にも硬座でハルビンへ行ったのですが、その時の写真と旅行記を掲載。
哈爾浜(ハルビン)の黒竜江大学へ留学する事になり、上海から北京経由で無謀にも硬座でハルビンへ行ったのですが、その時の写真と旅行記を掲載。
上海から無謀にも二等座席の硬席でハルピン(哈爾浜)へ向かう途中、北京へで下車した時の写真です。
この当時、中国の列車に対してあまりにも無知だったので、民工のたくさんいる地獄の二等座席に乗車して上海から哈爾浜(ハルビン)へ行ったのですが、音を上げて途中下車してしまったのです。
夜も座って過ごすとか、今だったらしねますw
上海駅から北京駅へ向かう列車の待合室。この頃も手荷物検査が厳しかった。長時間の乗車と寝不足で意識がもうろうとしてふらふらしている中、北京で途中下車して何はともあれ食堂に入って手頃な価格の北京ダックを食す。
北京に来たら「万里の長城に登り、北京ダックを食べ、故宮を見よう」というキャッチフレーズがあるのですが、この食堂にもそのキャッチフレーズが書かれていた。
2001年当時の北京駅です。人ごみだけは相変わらずですね。。確かこの頃に北京駅が今の姿になったのです。
哈爾浜(ハルビン)へ到着し、無事黒竜江大学で留学手続きが終わり、新たな生活が始まってからの写真です。
哈爾浜(ハルビン)は中国東北部にある経済、物流の中心的な都市です。帝政ロシア時代に作られた歴史うんぬんはとりあえず誰でも知っていると思うので割愛しますw
現代中国語において、哈爾浜(ハルビン)で話される中国語が一番発音がきれいだという事ですが、実際には巻き舌に癖がありすぎる気がしました・・。
ハルビン到着後に適当に撮りためた写真の一部です。
ハルビンの中心部、ハルビン駅からも程近い場所、紅博広場の前にある解放記念塔。こちらは松花江の河畔に1957年の洪水に勝利したという名目で、1958年に建てられた防洪記念塔。ソ連の設計士と共同で設計したそうです。
ハルビン市を流れる松花江。黒竜江(アムール川)へと流れてるけど、今も昔も変わらず汚染が激しいのです。
右は黒竜江大学の僕が宿泊していた留学生宿舎の窓から見た、中国の大学生が行っていた軍事訓練の様子。
ハルビンの中央大街にあるソフィア教会。この側に曼哈屯という日用雑貨などが売られているデパートがあり、たまに買物に行ってましたょ。 右は中央大街で撮影。この頃は中国で買った服しか着てない。。
黒竜江大学での生活が2ヶ月くらい経った頃に、大学の文化祭イベントがあった時に撮影した写真。
右は松花江の真ん中にある太陽島に観光に行った時の写真。有名な観光地なのです。何か懐かしいなぁ~。
松花江の中洲にかかる桟橋。客引きのおばさんがたくさんいたw。客引きに負けてこのぼろい船で太陽島へ行く事になった。 ここだけではなく、ハルビンではとにかく毎日が値切り交渉の日々でした。どこのお店へ入っても値札が無いので、ペン一つ買うのにもいちいち値段交渉をして買い物をしていたのです。
ボロ船からの風景。松花江の川面が目のすぐ側にある感じで怖かった記憶があります。こちらはロシア建築の邸宅。太陽島はロシア人の別荘があった場所なので、建物が残ってるのです。ただ、今は整備されて様変わりしてます。
石畳がロシアの帝政時代の名残。まぁ僕にしてみれば歩きにくかったくらいの印象しか残ってないのですが。
石畳とロシア建築の写真。人もまばらで歩きやすかった。こちらは哈爾浜(ハルビン)の松花江に浮かぶ太陽島に咲いていた花。ところで哈爾賓は「ハルビン」であって「ハルピン」ではありませんので気をつけましょうw
太陽島からみた松花江とハルビン市の眺め。この頃は全てが新鮮でしたね。松花江を船で遊覧している地元の人達。
松花江にかかる古い橋。ここは歩いていけるのですが、歩哨が写真撮影はダメだと言って来た。「昔日本が作ったの?」って聞いたらむかっとした顔をされて無視された。 馬に乗って川岸や太陽島周辺を散策する事も可能です。
水面ぎりぎりとかてらこわす。。汚い水しぶきが散って来ていたの思い出した。松花江は臭いし汚すぎw