4月29日、本日は旅順要塞、関東都督府高等法院と旅順駅を一目見に旅順へと散歩に行きます。で、毎度おなじみの黒石礁へと到着。
黒石礁のバスターミナル傍にある大商超市(スーパー)で飲料水などを購入。
スーパー内で適当に記念撮影。動画メインなので旅行記適当です。詳細は動画見てね!
TJライナー、否、2002路の快速バージョン、高速バスで旅順へと向かいます。片道7元です。
気になる202路の路面電車を適当に撮影。ってかこれはもう軽軌ですね。TV番組見てたけど、古い路面電車にとって代われら、かつ地下鉄が出来たら202路を廃線にするかどうかを議論してたけど、大連市民は路面電車や古い物を歴史的観点から保存すべきと考えている人が多いようです。
終戦直後は10本あった路面電車の路線が今は2路線しか残ってないとはいえ、東北三省で路面電車が未だに活躍してるのは大連だけです。
因みにこの軽軌の車両、8個の扉があり、扉だけで価格は40万元だとTVで行っていました。車両も全て込みだと400万元! それでも1元(6円)で赤字経営で運行しているのは素晴らしい。日本はマジでぼったくりすぎです。気軽にどこにも行けやしません。
くどいけど日本の観光地に観光客呼びたきゃ交通費安くしろって感じですね。その点中国は移動が気楽で実際盛んで波及効果が中々素晴らしいと思います。まぁでも日本は地方は皆車持ってるから、そこは条件が違うと思いますけどね。
毎度おなじみの旅順口へとやって来ました。後日時間作ってこの辺りで降りて散歩してみようと思います。
旅順の中心部です。趣のある建物が旅行気分をくすぐりますw
さて、次は旅順の街並みを適当に観察しつつ、関東都督府高等法院跡まで散歩する事にします。旅順バスターミナルの裏側方面で、近いです。付近にはレンガ造りの建物が所々未だに残っていました。
軍管轄区が多いです。ここにはスローガンが掲げられていますね。意訳すると、「演習に邁進し功績を建てるを強い軍を目指し、確実に勝利を勝ち取ろう」的な内容。 この建物の向かい側も軍管轄区です。何か、心落ち着きませんw で、その目の前に関東都督府高等法院跡があります。
最初病院になってるのかと思ったけど、その病院の敷地内に関東都督府高等法院跡がありました。で、ドロイド君が記念撮影。
やばいくらいに保存状態が良いです。日本の建物半端ない。日本自体には当然100年越えの建物沢山ありますけど、中国で100年を超す古い建物はそうそうないですよね。
関東都督府高等法院跡の概要が書かれた看板。日本語での解説もありますね。解説によると2006年に対外開放されたと書かれてます。
関東都督府高等法院の建物内を観覧する事にしました。愛想の良いおじさんが対応してくれましたが無料だと思ったけど、15元かかりましたw
静粛という文字が目に入って来て、かつ建物も重厚でいきなり重苦しい雰囲気。これが明治のカヲリですね。
関東都督府高等法院の陳列館の前書き。日本語の解説がおかしすぎますw アメリカで結ばれた日露戦争終結のポートマス条約の一部。写しだと思われます。
日本の植民地支配の罪の証拠を展示してると前書きに書いていたけど、実際は日本の偉業を讃えてるのではないかと思われる展示が多かったですねw どうでもいいけど当時の日本人開拓者や公的機関、軍幹部の人は中国語に堪能だったのでしょうね。
初期の関東軍総司令部も旅順にありました。まだ行ってないけど今度旅順に行った際に見に行ってみようと思います。右は南満州鉄道株式会社。今でも大連市内で現役で使われてます。
大連市役所、大連水上警察署、旅順憲兵隊本部、旅順刑務所等の写真。
関東都督府高等法院が軍政から民政に移った歴史、過程が簡潔に書かれています。超簡単に解説すると、1905年以降は関東州の軍事以外の司法を扱う重要な機関になったという事です。関東都督府の府報も配布されてたようです。
これはこの前行った在りし日の白玉山塔。当時とほとんど変わってませんね。当時の日本人半端ないですね。右は公判に関する通知書です。暇な人は拡大して読んで下さいw
これは日本敗戦と同時に旅順を取り戻しに来たソ連軍。右は戦艦ミズーリでの降伏調印式の様子。
昭和天皇陛下の終戦の詔の様子。右は満江紅という、まぁ現代詩ですかね。紀守先という国際スパイ組織のメンバー、大連では抗日放火団として活動していた人の作です。
裁判所内の様子。裁判長、判官の机がありました。
これは囚人にかぶせる帽子。右は旧満州の地図。現物を見たのはおそらく初めてです。珍しいものを見ましたw
検察官の田中魁という方の供述書。一番左は放火団に関する物、2枚目は隠れてて責任者が云々以外の内容不明、3枚目、右は敗戦後の恐らく口頭の記録、つまり供述書。山口県出身で終戦当時52歳、いつ中国を侵略したのか云々~という感じで書かれてます。 右は黒板消し。
関東都督府高等法院の内部。このレトロな階段がすごく気に入りましたw 旅行記適当です。
検察官の部屋の内部。重苦しい雰囲気が満ちていました。残されている電話がすごく印象的でした。
レトロな家具。コレクターにはたまらない一品かもしれないですね。
検察官長室とその内部にかけられている壁掛け時計。昔実家にあったのを思い出しました。ってか欲しくなりましたw
これは囚人護送用の馬車。こんなでかい馬に乗ってたの?ってくらい大きいです。右は伊藤博文を暗殺した安重根の作品と手形。ここで死刑判決を受けたのです。
ここは拷問器具とその解説などの展示がされているブース。ちょっと生々しくて気分悪くなりました。
警察犬、まぁドーベルマンも生きた拷問器具として利用されていたと書かれてます。右はあらゆる非人道的手段で死刑にしていたという説明とその写真。普通に気持ち悪い写真です。
人をバラした後にミンチにする器具。本当に気持ち悪かったのであまり見てません。画像で見るのと実物見るのとでは印象が全然違いますね。
じわじわと炙る拷問器具と足にくぎを刺す拷問器具。何か魔女の火炙りを再現しているDiscovery Channelだっけ?の動画思い出しました。(現在Youtube見れないので確認不可)
ここが拷問器具の展示場です。どうでもいいけどリア充うざかったです。あとチャラい彼氏連れの女が「あんた日本人なの?」とか色々聞いてきたり、めんどくさかったです。彼氏持ちとか全く興味ないから。
個人的に気に入ったレトロな階段を適当に撮影し、二階へと登ってみました。
高等裁判所の所長室。やっぱり重苦しくて暗い雰囲気が漂ってます。
壁掛けの時計がすごく似合いう部屋です。
伊藤博文を暗殺した安重根。ここからは抗日の英雄達の紹介ブースとなってました。
左は捕まった活躍した共産党員の略歴が記載されています。右は抗日放火団の一員。放火は普通に日本人でもアウトでしょって感じですよね。
法廷から眺めた旅順の街並みの風景。
2階にある関東都督府高等法院、裁判所の公聴室へとやって来ました。
この圧倒的なまでの木材の重厚な圧迫感!これが明治のry
関東都督府高等法院、裁判所の公聴室で一休みした後、ドロイド君が記念撮影。
天井と電灯、何から何まで完璧だ。で、公聴室から旅順の街並みを眺めてみた。
このシャンデリア、すごくレトロでっていうか当時の物その物なのでしょうが、素朴で素敵です。他に聴衆用と囚人用の階段もありましたね。詳細は動画見てね♪
関東都督府高等法院を満喫した後、最初旅順に来た時に行けなかった旅順駅に散歩しつつ行ってみる事にした。因みに大連に来てから日中の紫外線指数は常に6.0以上をキープしてますw
病院裏の個人経営のスーパーで昼飯に何か買って行く事にしました。病院の傍につきものの花屋さんがないのが印象に残ってます。
レンガ造りの古い建物と壁があったので、適当にメモ的に撮影。桜も咲いていました。
関東都督府高等法院の傍にある公園にも見事な桜が咲いていました。
花が密集しているのが印象的な桜の花でした、すごく可憐できれいな印象を受けました。
旅順バスターミナルへと続く道を尻目に、歩を進める。
旅順のテレビ局を発見。なかなか趣のある建物ですw 近くにバス停があり、旅順駅まで2駅と近いけど、日差し強いし疲れたので乗って行く事にしました。
で、さくっと旅順駅(旅顺火车站)へと到着。旅順駅前ではなく軍港の前に停車します。で、軍艦を適当に撮影。ここに入れると思ったけど、入れるのはここではなく付近の別の場所(海軍遊園)でした。
何か、古いタイプの軍艦が停泊中でした。
軍港の前に旅順駅へと続く廃線があったので、記念に撮影!南満州鉄道の終着点です!昔は海陸双方向に物資を運んでた事でしょうね。
南満州鉄道の最南端に位置するロシア風建築の旅順駅へ到着!
旅順駅の外観はネットで見た通りですが、実際に見てみると意外と小さく感じられました。これも大連市から保護されてる建築物です。
旅順駅の外観。
旅順駅の構内に入ってみたところ、駅員さんがが一人いました。
二度と列車が停まる事はないであろう旅順駅のホーム、そして旅順駅構内を適当に撮影。
旅順駅の正面。スマホでパノラマ撮影したかったけど失敗しまくるのでやめました。ドロイド君が旅順駅前で記念撮影。
旅順駅の向かい側はレンガ造りの建物と、古いマンションが建っています。右は旅順駅の出口にあるベル。
旅順駅の出口付近の風景。右はトイレと待合室でしょうか。
2014年以降ずっと運行停止している旅順駅を一目見れて満足したので、帰路につきました。
帰りはバスで直接旅順バスターミナルへ戻ります。因みにこの更に先に関東軍総司令部、大和ホテルなどがあります。
2017年4月29日、大連・旅順の旅順要塞~関東都督府高等法院跡地~2014年に廃線になった旅順駅を観光した時の動画です!